小路豊太郎翁について

 小路豊太郎翁その人となりを語るには「鷗嶋軒小路豊太郎と周辺の人々」の著者井上肇師の前書きにより語り尽くされていると思い紹介します。

 まえがき 小路豊太郎は、一般の人物に見られるような、従何位とか勲何等とかの位階勲等もない北海道で生涯を送った一介の無名に近い尺八家に過ぎない。

 民謡史や江差追分史上では、僅かに「江差追分の伴奏を三味線から尺八に変えた男」として記録されているが、古典の尺八界では殆ど知られて居ない。

 明治末年、それまで三味線・太鼓伴奏で唄われていた江差追分が、小路豊太郎らに始まる尺八伴奏の流行ととともに、全国に広まり、その後全国各地の他の民謡にも次第に尺八を用いられるようになった。その意味で、今日の追分と日本民謡の隆昌は小路豊太郎なしには語れない。

 と言って、小路豊太郎を英雄視したり、神格化などするつもりはない。

 一生を、只尺八で過ごしただけの男と言えばそれまでであるが、筆者も尺八と追分を愛する一人として、豊太郎のような名声を求めず、ひたすら追分を愛し、禅の尺八道を求め続けた一人の孤独な男の生きざまに多大の感動を覚え、彼の生涯と死後に関わりの有る人々を世に書き残し、日本の代表民謡江差追分と尺八道の発展にいささかでもお役に立てばと、更には北海道、いや日本の芸能史上にも多少はお役に立てないかと考え禿筆を呵す次第である。


桧山郡江差町字かもめ島に建つ小路豊太郎翁之碑

建立者 建立発起人代表 鴎嶋軒小路流三代目家元 松本晁章師

序幕式 平成元年八月二十日



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